当サロンは、2011年にフラメンコシューズ専門メーカーの付帯サービス事業としてスタート。以来、多くの踊り手さんたちの足や身体と向き合い、靴やインソールのフィッティング・制作・調整をおこない、ファッシァケアやテーピングを含む各種のケア、関節可動域改善・身体協調性向上のためのトレーニングを続けてまいりました。

当初からの揺るぎない信念は、
①不調は身体からのシグナル。単に痛みをなくすだけでなく、身体の声をしっかりと受け止め適切な対処をおこなうことが、再発を防ぐとともに、新たな不調の予防になる。
アライメント(骨格配列)を整え、自然な呼吸と無理のない動作(関節運動)を身につけることは、すべてのパフォーマンスの基本。
③プロでもアマチュアでも、スポーツやダンスでも日常の動作でも、シニアでもジュニアでも、実は「身体の取説」は変わらない。必要なケアやトレーニングも(難易度は異なっても)基本はほぼ同じ。

④一見お客さまのお悩みに寄り添うかに映るサービスが、逆に不調の悪化を招いたり、改善の芽を摘んでしまうリスクをはらんでいる。その方が持つ「未来の改善の可能性」を見きわめ共に歩んでいくことが大切。

というものでした。

2014年、「アトリエ・ナジャ」として再始動した後は、フラメンコにとどまらず多様なニーズにお応えしてまいりました。スポーツ・ダンス・ボディワークのプロや愛好者、書道・茶道・楽器演奏等に携わる方々、身体のさまざまな不調(頸部痛・腰痛・骨盤痛・膝痛・足部痛・凍結肩=四十肩五十肩など)にお悩みの方々、そして市販の靴が合わないと困っておられる方々にお越しいただくようになりました。

セッションはすべてマンツーマン形式でおこなわれ、まずはお悩みや問題点の確認と整理、そして動ける身体の土台づくりからスタートします。はじめは運動が苦手な方でも無理なくできるストレッチングや呼吸法などが中心。そこから、ケアによって整ったアライメントを維持していただくためのプラクティスへ、さらにその方が望まれるパフォーマンスにとって不可欠な身体機能向上のためのエクササイズへと段階的に進んでいきます。

ときには、解剖学やキネマティクス(運動学)、キネティクス(運動力学)、靴学などの初歩を座学形式で学ぶこともあります。

お客さまのご要望は、その方ごとにさまざま。その一端は、当サイトにお寄せいただいた「VOICES」=お客様の声からも窺い知ることができます。

あらゆる手立てを尽くし、主役であるお客さまの「こうなりたい」「こうしたい」を全力で応援するのが当サロンの役目。微力ながら、誠心誠意をこめ全力でサポートすることをお約束いたします。


◉セラピストprofile

髙橋優子

北海道生まれ。
・2007年
 一般社団法人日本フスフレーゲ協会上級フスフレーガー資格取得
 土屋聡靴工房にてラストメイキング・パターンメイキング・製甲・底付等ハンドソーンウェルテッド基本を学ぶ
 (〜2011年)
・2008年
 足と靴の学校フロイデマイスター一年コース修了
 Bundesfachschule für Orthopädie-Schuhtechnik Hannover(ドイツ国立整形靴技術専門校ハノーファー校)短期留学・
 特別資格取得
 自宅にて靴制作 / 修理 / 調整サロン アトリエ・ナジャを 開設
・2011年
 フラメンコシューズ専門店セノビージャ・ハポン合同会社を共同で設立。代表社員(CEO)に就任(〜2014年)
 同社の付帯サービスとしてフットケア・ボディケア・トレーニングを開始
・2014年
 アトリエ・ナジャを再始動し、現在に至る



◉メッセージ

こんにちは。アトリエ・ナジャ主宰の髙橋優子です。

あらためて振り返ってみると、私の半生は、身体に関しては失敗と挫折の連続。幼いころから折り紙つきの外反母趾だったにも関わらず、20代で出逢ったフラメンコ舞踊に熱中。団員や代教指導員をつとめながらも足の激痛は常につきまとい、しだいに他の部位にも支障をきたし始めます。本番直前に頸椎捻挫や腰痛に見舞われ、座薬やブロック注射の助けを借りてどうにかステージに立ったこともありました。耐えかねて20代最後の年に外反母趾矯正手術を決断—— が、ほどなく足部の変形は再発しました。手術自体は成功し、術後は可愛い靴を諦めて無骨な整形靴に甘んじていたというのに... その時の落胆は、言い表しようがありません。

一方で、手術すれば問題は解決する、ドクターや靴のマイスターを信じて委ねればいい——そんな甘い認識を改めるきっかけにもなりました。たとえ相手が高度なスキルや知識を持ったプロフェッショナルであっても、自分の手を離しすべてをお任せできるわけがない、この身体と一生付き合っていくのはほかならぬ自分自身なのだから、文字どおり「自身」=自分の身体と向き合わない限り迷走の出口は見つからない... そう気付いたときには、すでに30代半ばにさしかかっていました。

数年の独学の後、限界を感じてフットケアの資格を取得。また、術後拘縮の強い自分の足にとっても切実に必要と感じていたファッシァ(=「筋膜」を含む線維性軟部組織)のケアについても学び始めました。次いで、ドイツの整形靴技術を教える学校に通い、ドイツのマイスター学校にも短期留学しました。ドイツ製の整形靴を履いていたにもかかわらず外反母趾を再発してしまった私ですが、何が問題だったのかを見極めたいと思ったからでした。並行して、靴づくりの基本を学ぶため、ビスポーク職人のもとでハンドソーン(手縫い靴)の技術も学びました。しかし、靴学校卒業時すでに40歳を迎えていた私を雇い入れてくれる靴メーカーは、一社もありませんでした。50社を超える企業にコンタクトをとりましたが、年齢を伝えた途端に電話をガチャリと切られたことも。人生の中でこれほど拒まれ断られ続けた体験は、後にも先にもありません。ここでも私は、自分の甘さを突きつけられることとなったのです。

仕事をいただけないなら、自分で仕事を作るしかない——それが答えでした。起業準備のため、整形靴店で働いたり、駅構内で靴修理のアルバイトをしたり、都内のフットケア・ボディケアサロンに務めたり、資金作りのために企業研修講師やグラフィックデザイナーとして働いたり... そんな矢先、ひょんなことからスペインのフラメンコシューズメーカーのお声かけを受け、日本法人を立ち上げ代表を務めることとなりました。住宅街の一角にひっそり佇む築50年以上のボロい自宅にお客さまをお迎えし、靴のフィッティング・フットケア・ボディケア・トレーニングを行うという地味なスタイルにもかかわらず、多くのお客さまに恵まれ、開業から二年あまりでターミナル駅近くに路面店を構えることができました。

その後、諸処の事情から経営を退き、再び自宅に戻って小さなサロンをオープンさせました。基本的には靴やインソールの調整・修理を行うつもりでいたのですが、馴染みのお客さまからのフットケア・ボディケアへのご要望が途切れず、セッションの空きを待つ方々の膨大なウェイティング・リストができてしまいました。1年以上、なかには3年も待ってようやくセッションにお越しいただくお客さまや、フラメンコとは無縁ながら口コミでお問い合わせくださる方々も数多くおられました。

一方で、私自身も「足のトラブルに寄り添った靴」が決してトラブルを解決しないこと、足のお悩みの原因が必ずしも足の中にあるとは限らないことを、自分自身の経験やオーダーシューズメーカーでの実務経験から痛感させられていました。「痛くない靴が欲しい」「フィットした靴を履きたい」というお客さまのニーズは、実は靴や足に限定された問題ではなく、全身——ときにはメンタルも含めた心身——の健康にまつわる問題を反映したものであり、その解決に際しても全身的なアプローチが不可欠だと確信するに至ったのです。こうして、いわば「残務整理」のつもりでスタートしたサロンは、今年(2023年)ついに10年目を迎えることとなりました。

あらためて振り返ってみると、いろんな意味で振り幅が大きく、思い通りに運ばないことばかり。でも、その経験が少しでもお客さまのお役に立てるなら、報われて余りあるというもの。同じ轍を踏まないよう、私の豊富にして多彩なしくじり経験をご活用いただけたら本望です。


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